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ゆううつな水曜日…… page2

last update Last Updated: 2025-02-14 09:58:19

「――さて、わたしも着替えて手伝おう」

 玄関で靴を脱ぎ、散らかっている子供たちの靴と一緒に自分の靴も整頓してから、愛美は階段を上がって二階の六号室に向かった。

 ここは彼女の一人部屋ではなく、他に五人の幼い弟妹たちも一緒に暮らしている部屋。

 (さいわ)い、この部屋のおチビちゃんたちは食堂でおやつの時間らしく、部屋には誰もいなかった。

(今日は進路のこと話すヒマなさそうだな……。園長先生、忙しそうだし)

 そんなことを思いながら制服から、お気に入りのブルーのギンガムチェックのブラウスとデニムスカート・白いニットに着替えた愛美は、一階に下りておチビちゃんたちがおやつ中の食堂を横切り、台所に入る。

「先生たち、ただいま! わたしもお手伝いします!」

「あら、愛美ちゃん。おかえりなさい。いつも悪いわねえ。――じゃあ、理事会の人たちにお出しするお茶、淹れてもらえる?」

「はーい」

 施設の麻子(まこ)先生にお願いされ、愛美はテキパキと動き始めた。

 急須にお茶っ()を量って入れて、その上からお湯を注ぐ。しばらくすると、いい香りのする美味しい緑茶ができ上がった。

「今日は何人の方が来られてるんですか?」 

「えーっと……、確か九人だったかな。だから、園長先生の分も合わせて十人分ね」

「分かりました」

 ということだったので、上等な湯飲みを十人分食器棚から出してお盆に()せ、急須から出でき立ての緑茶を淹れていく。

「できました! わたし、運んできます!」

「いいから、愛美ちゃん! ありがとう。あとは(わたし)たちでやるから、部屋で休んでていいわよ。晩ごはんの時間になったら呼ぶから」

「……はーい」

 愛美はしぶしぶ(うなず)いた。本当は「お茶を運ぶ」という口実(こうじつ)で、理事たちの顔を確かめたかったのだけれど……。

 毎月こうなのだ。愛美が「お茶を運ぶ」と言うたびに、先生たちに止められる。そのため、愛美はこの施設の理事がどんな人たちなのか、全然知らないのである。

 ――ただ一つ、ハッキリしていることがある。

(……まあ、お金持ちなんだろうな。こういう施設に寄付できるくらいなんだから)

 愛美はそういうお金持ちとか、セレブとかいわれている人たちの生活を知らない。学校の友達にもいないし、どれだけ想像力を働かせても思い浮かばない。

 彼女は幼い頃から、本を読むのが好きだ。想像力も豊かで、将来は小説家になりたいと思っている。その豊かな想像力をもってしても、具体的なイメージが浮かばないのだ。

 ――窓際の学習机で学校の宿題を終わらせ、一息ついた愛美は何げなく窓の外に視線を移す。

 もう夕方の六時前。外は暗くなり始めている。

 理事会は終わったらしく、門の外には黒塗りの高級リムジン車やハイヤーが何台も列を作っている。

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    「――園長先生、実はわたし、もうだいぶ前から〝あしながおじさん〟の正体に気づいてたんです。でも、ずっと気づかないフリを続けてるんです」「……ああ、そういえば手紙にもそう書いてあったわね。あなたの身近にいる人だって」「はい。もしかしたら違ってるかもしれませんけど……、その人って辺唐院純也さん……ですよね? わたしの親友の叔父さまなんです。そして、わたしと彼は一昨年の夏からお付き合いしてます」 愛美が思いきって打ち明けると、聡美園長は驚いたように大きく目を見開く。そして大きく頷いた。「…………ええ、間違いないわ。辺唐院さんはあんなにお若いのに、もう何年もこの施設に多額の援助をして下さってるの。そして三年前、中学卒業後の進路に悩んでいたあなたに手を差し伸べて下さったのよ。女の子が苦手だったはずなのに、『この子だけは放っておけない。この子の文才をこのまま埋もれさせるのは惜しい』って」 純也さんはもしかしたら、その頃から愛美の文才に惚れ込んでいたんだろうか。自分が援助することで、作家としてデビューできるように。「そうでしたよね。そういえば、彼も言ってました。『最近はどんな本を読んでも楽しいと感じられないんだ』って。だからわたし、彼と約束したんです。『わたしが絶対、純也さんが面白いって思えるような小説を書く』って。……その時はまだ、彼が〝あしながおじさん〟だなんて気づいてなかったんですけど」「そう……。じゃあ、今回書こうとしてる小説は彼のためでもあるわけね? でも、まさかお付き合いまでしてるなんてビックリしたわ。辺唐院さん、ここへ毎月いらっしゃってるのに、私にはそんな話、一度もして下さらないんだもの」「それは、後ろめたい気持ちがあるからじゃないですか? 後見人の立場とか、年齢差とか色々気にして」 年の差については純也さん自身もいつか言っていたことだけれど、後見人の立場を気にしているというのはあくまでも愛美の考えだ。愛美がそう思っていなくても、愛美が有名作家になった時に周囲からいわゆる〝パトロン〟のように見られることを気にしているんだろう。「恋愛は個人の自由なんだから、話を聞いたところで私は何も言わないのにねぇ。――それはともかく、愛美ちゃん。本当のことを知っているのに、気づかないフリをしているのはどうしてなの?」「彼から打ち明けてくれるのを待ってるからで

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   わかば園と両親の死の真相 page16

    「――では、私はこれで失礼します。相川さん、今日はお会いできてよかった。こんなに立派に成長されて……、天国のご両親もきっと喜ばれていることでしょう」 北倉弁護士は用件が済んだようで、早々に席を立とうとした。「こちらこそ、ありがとうございました。両親の最期がどんなのだったか、わたしもずっと知りたかったので。今日は貴重なお話を聞かせて頂けて嬉しかったです。それに、政府からのお見舞いのお金まで取り返して下さって。本等にありがとうございました」 愛美は彼に丁寧なお礼の言葉を述べ、何度も頭を下げる。(わたし、やっぱりお父さんとお母さんに愛されてたんだな……。で、園長先生は二人からすごく信頼されてたんだ。でなきゃ、まだ小さかったわたしを安心して託せなかったはずだもん) 北倉弁護士の背中を見送りながら、愛美はそんなことを考えた。まさか自分たちが事故で命を落とすとは思っていなかっただろうから、本当に一時的にだったのだろうけれど。信頼できる人だからこそ、両親も恩師である聡美園長を頼ったに違いないのだ。 ――北倉弁護士が退出した後、愛美は改めて、聡美園長に「ただいま帰りました」と言った。「お帰りなさい。あなたから『冬休みは園で過ごしたい』ってお手紙をもらった時は嬉しかったわ。ここを舞台にして新作を書きたいんだそうね」「はい。ここにいた頃のわたしを主人公のモデルにして、ここでのありふれた日常を描(えが)こうと思ってます。まだここを巣立って三年も経ってないけど、今日久しぶりに門の外から眺めてたらすごく懐かしく感じました。ああ、帰ってきたんだ。ここがわたしの実家なんだな、って」「そう言ってもらえると嬉しいわ。養子にもらわれていったりして、ここを巣立って縁が切れてしまう子もいるけど、あなたとは縁がまだ繋がっていたのね」「そうみたいですね。わたし、ここでの生活が好きだったから。不便なことも多かったけど、たくさんの弟妹(きょうだい)たちに囲まれて、毎日賑やかで楽しかったです。――みんな元気ですか?」 愛美が施設で育ったこと後ろめたく感じてこなかったのは、この施設での生活が楽しかったからだった。血は繋がっていないけれど、毎日一緒に過ごしてきた大切な弟・妹たち。みんなはどうしているんだろう?「みんな元気にしてるわよ。里親に引き取られていった子も何人かいるけれど。――涼介君も、

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   わかば園と両親の死の真相 page15

    「それでね、一度あなたの様子を見に行った時にその事実が分かって、私が児童相談所に通報したの。そして、その親戚夫婦はあなたの養育権を剝奪されて、あなたは一時的に預かっていたこの施設で暮らすことになったのよ」「そうだったんですね。園長先生、その時に通報して下さってありがとうございます。その通報がなかったら、今のわたしはいなかったと思うから」 愛美は改めて聡美園長に、育ててもらったことと命を救ってもらったことへのお礼を述べた。彼女の通報がなければ、愛美はその後無事だったかどうかも怪しいのだ。「いいのよ、愛美ちゃん。あなたは私にとって孫も同然だって、さっきも言ったでしょう? 大事な教え子だったあなたのご両親を亡くした私にとって、あなたは希望だったから」「はい……!」 両親がどうして自分のことを施設に預けたのか分からなかった愛美は、その事情を知って改めて両親から愛されていたんだと分かり、胸がいっぱいになった。聡美園長に預けたのも、恩師である彼女を信頼していたからだろう。「――ところでですね、相川さん。親戚が騙し取ったその見舞金の一千万円、私が全額彼らから取り返すことができたんですが。あなたはどうされますか? ここに現金で用意してあるので、この場でお返しすることもできますが」 北倉弁護士がそう言って、大きな茶封筒を応接テーブルの上に置いた。かなりの厚みがあるそれには、百万円分の札束が十個入っているらしい。「そんな……、こんな大金、受け取れません!」 一瞬、「これだけあれば純也さんにこれまで出してもらったお金が全額返せる」とも思ったけれど、それでは筋が違う。彼に返すお金は、自分で作家として稼いだものでなければ意味がない。 それに、まだギリギリ高校生の身に一千万円という金額は大きすぎる。「いえいえ、これは本来あなたが受け取るべきお金ですから。どうぞ、お納めください。使い道はあなたに委ねますので」「そう……ですか? ありがとうございます。じゃあ……」 封筒を受け取った愛美は、中の札束を二つだけ取り出して自分の手元に置いた。そして――。「これだけわたしが頂いて、あとはこの施設に寄付します。さすがに一千万円は金額が大きすぎるので」「愛美ちゃん……、本当にいいの?」「はい。この施設のために役立てて下さい」「……分かったわ。ありがとう。この園の子供たちのた

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   わかば園と両親の死の真相 page14

    「それをお話しする前に、あなたはあの事故についてどの程度の事実をご存じですか?」「ここへ来る前、ネットで調べました。山梨の山中にジャンボジェット機が墜落して、乗員・乗客五百人全員が助からなかった、って。あと、わたしの両親らしい『相川』っていう苗字の夫婦の名前が乗客名簿にあったっていうのは知り合いから聞かされたんですけど……。それじゃやっぱり、その夫婦っていうのが」「はい、あなたのご両親で間違いないと。お二人のご遺体は幸いにも状態がよかったので、ここにいらっしゃる若葉園長が身元の確認をされたそうです。お二人は園長が小学校の教員をされていた頃の教え子だったそうで、卒業後にも交流があったそうなんです」「えっ、そうだったんですか?」 愛美は驚いて、聡美園長に向けて目を見開く。「ええ、実はそうなのよ。あの二人は私の教え子だった頃から仲がよくてね、結婚式にも出席させてもらったわ。あなたのご両親は、子供ができなかった私たち夫婦にとって我が子も同然だったの。だから、事故が起きる二日前、『親戚の法事でどうしても愛美ちゃんを連れていけない』っていう二人の頼みを聞き入れて、すでに開園していたこの施設でまだ小さかったあなたを預かってたのだけれど……」 そこまで話した園長が、涙で声を詰まらせた。「……まさかその二日後に、あんな変わり果てた姿で再会するなんて……」 たった二日前、元気な姿で別れた教え子夫婦とそんな形で物言わぬ再会をすることになった園長の気持ちを想像したら、愛美も自然ともらい泣きをしていた。気づけば、北倉弁護士の目にも涙が……。「……ああ、すみません。――それでですね、ここまでは前置きで、ここからが本題なんです。ご両親を亡くされた幼いあなたは、お母さまの弟さんのご夫妻に引き取られることになったんですが……」「わたし、親戚がいたんですね」「ええ。ですが、そのご親戚が問題でして。二人は日本政府から被害者遺族に支給されたお見舞金目当てであなたを引き取り、見舞金を受け取った後はあなたへの育児を放棄して遊び惚けていたんです」「…………! そんな……ヒドすぎる……」 愛美は顔も憶えていないその叔父夫婦に対して、何ともいえない怒りがこみ上げていた。もしその二人が今になって「親戚だよ」と再び目の前に現れたら、彼らに何をするか分からない。

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   わかば園と両親の死の真相 page13

    (懐かしいな……。まだここを卒業して三年も経ってないのに) 門の外から園の建物を感慨深く眺めて、愛美は目を細める。 二歳の頃からここで暮らしていたとして、中学卒業までは十三年とちょっと、この〝家〟で過ごしてきたことになる。ここには数えきれない思い出が詰まっているのだ。楽しかったことも、悲しかったことも。「――さて、行くか」 門をくぐった愛美は、園長から電話で聞いたとおり、正面玄関ではなく来客用の玄関でスリッパに履き替える。そこに一足、男性ものの革靴が揃えて置かれていることに気づいて首を傾げた。そこでふと感じるデジャブ。 ちょうど三年前の今ごろ、愛美はこのあたりで〝あしながおじさん〟のあのヒョロ長いシルエットを目撃したのだ。あれは夜だったけれど……。「……あれ? この靴、誰のだろう? 純也さんの……じゃなさそうだけど」 彼の靴のサイズは二十九センチだけれど、この靴はそれよりサイズが小さいように見える。 それに、珠莉から聞いた話では、彼がここを訪れるのは毎月第一水曜日だけらしいけれど、今日はその日ではない。「誰か、他にお客様が見えてるのかな……?」 その靴の持ち主が誰なのかは気になったけれど、愛美はとにかく園長室へ向かって進んでいく。「――園長先生、お久しぶりです。ただいま帰りました」 自分のデスクに座っていた聡美園長に声をかけると、応接用のソファーに腰かけている男性が園長と同時に愛美の方へ顔を上げたので驚いた。 彼は四十代半ばくらいで、知的な感じのスリム体型。そして彼のスーツの襟には金色のバッジが光っている。「おかえりなさい、愛美ちゃん。――ああ、こちらの方、紹介するわね。弁護士の北(きた)倉(くら)先生よ」「相川愛美さんですね? 私は弁護士の北倉と申します。あなたのご両親が亡くなった、十六年前のジャンボジェット機墜落事故の遺族救済を担当しておりました」「……どうも。お名刺頂戴いたします。――あの、高校生作家の相川愛美です。名刺はありませんけど」 名刺を受け取った愛美は、こちらも自己紹介をしなければと思い、丁寧に名乗って頭をペコリと下げた。 「愛美ちゃん、この弁護士さんが、あなたに大事なお話があるそうでね。――あなたからご両親の亡くなった理由が知りたいって手紙をもらった時に、ちょうどいいわと思って連絡して、今日わざわざ来て頂いたの

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